緊張緩和と多極化

《 緊張緩和と多極化 》
ソ連フルシチョフによるスターリン批判をきっかけに「平和共存」路線に転向
しかし、1962年の( キューバ )危機では核戦争の危機をむかえた。またこの事件後を
境にだんだんと米ソ以外の国が力を持ち始めた。


A ヨーロッパの民主化運動

ポーランド:市民による反ソ暴動(ぼうどう)が繰り返され、1956年にはポーランド政府はソ連の軍事(ぐんじ)介入(かいにゅう)を恐れて、運動を鎮圧した。1980年、自由な労働組合活動が認められ、連帯(れんたい)と呼ばれる新たな組合が生まれた。
ハンガリー:1956年、社会主義体制への不満から起こったデモが、ソ連の介入で鎮圧(ちんあつ)された

チェコスロバキア:1968年、政府によって「プラハの春」と呼ばれる自由化が進むが、ソ連と東欧4カ国の軍事介入によっておさえられた

B 南アジア東南アジア諸国の独立

インド:ガンディーらの独立運動が実り、1947年、(ヒンドゥー)教徒を中心とするインドと(イスラム)教徒を中心とするパキスタンに分かれ、それぞれ独立する。
⇒ カシミール帰属(きぞく)問題へ
ベトナム
1945年 ( ホー=チ=ミン )が独立宣言、ベトナム民主共和国ができる
    → フランスは独立を認めず、ベトナムと交戦。フランスは大敗して
      北緯(ほくい)17度線を境に休戦
1961年 ( ベトナム )戦争・・冷戦構造の対立により、アメリカがベトナムに進出
    → 戦争後、北ベトナムが南を統一

マレー半島:1957年にイギリスの自治領(じちりょう)として独立しマラヤ連邦(れんぽう)が成立。1963年、シンガポールとボルネオとの合体でマレーシア連邦になり、1965年にはシンガポールが連邦を離れて独立した。

フィリピン:1946年( アメリカ )より独立、マルコス大統領の独裁で腐敗が進んだ
カンボジア:1949年( フランス )より独立、1970年には( ポル=ポト )政権が支配
インドネシア:1949年( オランダ )より独立、( スカルノ )の指導で独立を果たす
C 西アジア・アラブの動乱
エジプト:自由(じゆう)将校団(しょうこうだん)のクーデターで、エジプト革命がおこり、1953年に共和国が成立
イラン:1979年にホメイニ氏の指導でイラン革命が起こり、イラン=イスラム共和国が成立
イラク:1980年、イランに侵攻(イラン―イラク戦争)→1990年にはクウェートに侵攻して、
        湾岸戦争に発展する。
パレスチナユダヤ人とアラブ人が対立。国連によって両者への分割案がだされた。
      → 1948年 イスラエルを建国。
      → 中東戦争・・4回に渡って戦争が起こり、イスラエルは領土を拡大。
【 パレスティナ問題 】
原因 イギリスの三重外交・・アラブ支援によりイギリスはパレスチナを獲得
① フサイン=マクマホン協定(1915)・・・アラブ人にオスマントルコからの独立を約束
② サイクス・ピコ協定(1916)・・・フランス・イギリス・ロシアでの分割を約束
③ バルフォア宣言(1917)・・・ユダヤ人の国をパレスチナに作ると

D アフリカの独立・第三勢力

( アフリカ )の年・・1960年、アフリカで17カ国の国が独立。アフリカの年と言われた
( アフリカ統一機構 )・・1963年に成立。アフリカの諸問題を討議する機構
( 第三勢力 )・・・冷戦中、東西のどちらにもつかず、中立を主張した、
アジア・アフリカの新興諸国
1954年:インドの( ネルー )と中国の( 周恩来 )は( 平和五原則 )で非同盟主義
      を掲げる。
1955年:( アジア・アフリカ )会議・・・インドネシアのバンドンで開かれた
                      →( 平和10原則 )を採択

冷戦の終結
1985年:ソ連の( ゴルバチョフ )による大改革
      A ( パレストロイカ )[ 改革 ]
      B ( グラスノスチ  )[ 情報公開 ]
1989年 東欧革命(とうおうかくめい)がおこり( ベルリン )の壁が崩壊
( マルタ )会談・・・冷戦の終結(しゅうけつ)を宣言
       A アメリカ ( ブッシュ )大統領
       B ソ連   ( ゴルバチョフ )書記長

1991年 ソ連の消滅→CIS(独立国家共同体)へ移行
      現在はロシア連邦などに引き継がれる

※ ポスト冷戦・・・ソ連の消滅に伴って、東欧諸国は民主化し、資本主義へ移行するが、
          各地で民族紛争が激化する。